「蛙の子は蛙」とは限らない 親子兄弟でも「別人」という認識が大切

今日は保護者の方向けの話題ですね。

保護者の方とお話していて、良く出てくるのが、
「わたしが子供のころに、勉強で苦労した記憶ないから、何でうちの子できないんだろう、って思っちゃうんですよー」
「うちの子どもたち、兄弟でも全然性格違うんですよー」

以前の私は「そういうもんなんだ…」と思いながら聞いていましたが、よくよく考えたら、これって「当たり前」。

なぜなら、親子兄弟とはいえ、「別人」だからです。

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我々は「蛙の子は蛙」「(同じDNAをもっているんだから)親子や兄弟は似ているもんだ」という先入観を知らず知らずのうちに持ってしまっているかもしれません。

一緒に生活をしているわけですから、もちろん似通う部分はあります。
また、子どもは親のまねをしようとしますので、これまた当然のこと。

しかし、100%同じにはならない。
まして、親御さんが子供の頃と今の子では周りの環境がまったく違いますよね。
同じになるわけがない。

兄弟については、以前よんだ本の中にこんな記述があります。

人間の子どもは他の動物に比べて極めて未成熟な状態で生まれてくるがゆえに、親の助けなしに一人で生きていくことはできないのです。そのため、人間の子供は親から見放されることを極端に恐れます。このような弱い存在が親から見捨てられることは、死の宣告に等しいからです。

(中略)

第1子、中間子、末子それぞれが、それぞれの得意分野でアピールし、親の愛と関心を奪い合うのです。しかし、それぞれは相手が得意な分野(例えば勉強やスポーツなど)にはあえて参入しようとしません。そうではなく、独自な新しいジャンル(例えば芸術など)できょうだいに対する優越を示し、親に認めてもらおうとするのです。

(小倉広著 「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」より)

実は、親子兄弟でも違う人間なんだ、と思っていることはとても大事。

例えば、テストの結果を見て
「なんで、わたしはできたのにこの子は…」
「どうして、上の子はわかっているのに、下は…」
と悩む必要がなくなるからです。

「お兄ちゃんは頭いいのに、どうして弟の僕は…」
とコンプレックスを感じる必要はない。

「他人だから仕方ない」んです。

つまり、そのお子さんをどうやって改善するか、という問題は、親子兄弟との比較とは切り離す必要があるのです。

  • お子さん自身が、もっとよくなりたい、と思うこと。
  • 小さな自信を積み重ねていくこと。
  • その中で自分に合う方法を自分で見つけて、または誰かに見つけてもらって、実行すること。

結局はその繰り返しのなかで、良い方向に変化していくものです。

SFでは引き続き、このサイクルのきっかけを作って、最終的に生徒さん自身が自分で学習できるよう、指導していきます。

この記事を書いた人

杉原 伸太郎

1977年11月18日東京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒。
大手学習塾での勤務を経て2010年4月SF-Learningを起業。
「考える力」をつける指導を目指し、未来の担う子供たちを応援。
小学校PTAをはじめ、地域活動にも参加。
常に新しいことを取り入れて、日々変化し続けています。
2児の父。