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コミュニケーションはキャッチボール 違う意見に目をつぶらないこと

自分も相手の反応を怖がってしまうこと、あるなーととても共感した記事。

私はとても怖がりです。
子どものころは常に人の顔色をうかがうようなそんな子供でした。
「これでいいの?」
「これが正しいの?」
「間違っていて怒られるのがとってもイヤ」
そんな子供でした。

何かそういうきっかけ、というか、トラウマがあるんだと思います。

大人になってからはどうか。

多少ましになったかな。
でもまだまだ相手の反応が怖い。
周りの評価や反応はとっても気にしてしまいます。
自分内部での評価よりも、外部からの評価の方が重要、と私自身は思っています。

それ自体否定されることではないのですが、だからこそ自分の思う通りに行動はできないし、できたとしても言動がおっかなびっくりになりがち。

そもそも『正解を知っている人』なんてこの世にいるのでしょうか。
きっとイチローだって、タモリさんだって、偉い政治家にだってわからない。
それなのに、正解の意見を言わないと否定されるのであればなんて難しいゲーム!
つまり、そもそも意見には正解や不正解があるわけではありません。
意見を否定する人は、私はその意見には納得できないよと言っているだけ。
あなたの人格までジャッジするような、そんな大層なことを言っているわけではありません。

あえて言うなら、自分が選んだ道がすべて「正解」ですよね。
そう、分かってます。
分かっていても、「こうしたほうが角がたたない」とか、「いまはこういう風に言っておこう」とか、いろんなことを考えます。

「空気を読む」ってやつ。

もちろん「空気を読む」というのも一つの選択肢ですから、それ自体否定されるべきことではありません。
しかし「空気読んでる自分が面倒くさい!」と思うこともしばしば。
あるいは、空気読んだくせにあとから文句を言いたくなることもしばしば。

だからもっと自分を出していいんですよね。きっと。

まとめ

子どもたちにも、スタッフにも私は「言ったもん勝ち」という言葉をよく使います。
自分のやりたいこと、自分の想いはどんどん伝えていい、と
特に子供たちには「黙って座ってるだけで成績上げてほしかったらほかに行け」とはっきり言います。
もちろん言われた意見は尊重するし、すぐに全否定はしないようにしています。
そのうえで、自分からアドバイスするように努めています。

そう考えると自分の行動はちょっと矛盾しているのに気づかされます。
人には「気にせずどんどん言いなさい」といいつつ、自分は周りの目を気にする。

実はこのブログを読んでいて、もっと知りたいな、と思ったのがこのくだり。

よくこの手の話題で、自分に自信がないから否定されるのが怖いという人がいますが、そもそも自信とは関係がありません。

そうなのか。
最近、私は自分にとっても自信がなくて、ただ自信がある「ふり」をしているだけなんじゃないか、と思い始めていました。
(別の機会にこのことも掘り下げます)

自分の言動を否定される→人格が否定された気がする→自信がなくなる→自分を出せなくなる

んん?そういうことではない、ということなのでしょうか。
もちょっと勉強してみたいです。

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